創元社
ハビアンという生き方の おどろき
戦国時代のキリスト教伝播時代にカトリック受洗し、
国内での教育・布教機関の最高位まで登りつめて、
宣教の最前線を疾駆した日本人信徒ハビアン。
最盛期には仏教や神道と徹底的に対峙したハビアンは、
江戸時代に入り鎖国の進むなか突然、意を翻し棄教して、修道女とともに野へ出た。
その精神史的バイオグラフィーを、キリスト教の教条と日本文化風土の交わりのなかで
描き抜く。著者渾身の書き下ろし。
以下 本書の冒頭より
一人の日本人が長崎でひっそりと死んだ。
家康の死去から五年の後、江戸幕府の基盤がしっかりと固まった一六二一年のことである。
五十六歳であったという。臨終の様子がどうであったかも不明であり、また彼の墓地が
どこにあるかも分からない。日本人としての本来の姓名すら知られていない。
死の十年あまり前まで、彼は不干斎巴鼻庵(フカンサイ・ハビアン)と名のり、
キリシタンの指導的知識人として京都を中心に活動し、「上カミのハビアン」
「ミヤコのハビアン」として広くその名を知られていた。
ハビアンという名は、キリシタンとしての名前(クリスチャンネーム)である。
彼がこのハビアンの名で一六〇五年に著した『妙貞問答』全三巻は、仏教・神道・
儒教を批判してキリシタンの教えを唱導したものであり、日本には他に例のない
該博な宗教書である。これは、キリシタンという外来の思想を主要な補助線として、
当時の日本社会の各宗教を論じた比較宗教論的な著作としても、我が国の思想史上
特記すべき業績である。
しかしながら、彼はこの著作の公刊から間もなく、四十三歳ころにキリシタン教団を
去り、一人の若い修道女を伴って出奔する。
〈目次〉
プロローグ
序 章 不干斎ハビアンという人
第一章 キリシタンの教えをどう説いたか ――『妙貞問答』とくに下巻での主張を見る
第二章 仏教思想との対決 ――『妙貞問答』上巻での主張を見る
第三章 林羅山との問答 ――『排耶蘇』をめぐって
第四章 キリシタンの何を批判したのか ――『破提宇子』をめぐって
第五章 キリシタンの教えと宣教師 ――『破提宇子』の最終部分から
終 章 ハビアンに対する毀誉褒貶 ―― そしてハビアン研究のこれまで
エピローグ 大航海時代におけるキリスト教的グローバリゼーションと日本人
ハビアン関係年表
参考文献
著者・訳者など:梶田叡一
ISBN:9.78442E+12
JAN:9789780000000
978-4422143910